心理学

2009年11月10日 (火)

浮気男の心理

先日、ビックリした事があった

下心ありで近付いて来ていたSだが、寄せ付けていなかった


で、この前、Sの奥さんを見た。他の男性陣が羨ましがった。とにかく美人なのだ。

女の視点からすると、病的に痩せすぎなのを、フリフリでかなり隠している感じはしたが、にこやかに振る舞っていて、何が不足?とは思う


話をしている感じでも、問題あるどころか、仲良いように見える


しかし、Sは浮気したいのだ。家庭では様子が違うのかもしれないが、不足ある男は常に不足なのだ。治らないだろう。


一方、もう一人の浮気男Pだが、こちらは家庭内に問題がある例だ。不信感を持って後戻りできずに結婚したら、不信は的中。妻は男と手を切らず結婚していた。子どもだって、誰のか怪しいものだ。
しかし体面を重んじて別れない代わりに家族に愛着はなく、抵抗感なく浮気するのだ。
不信感からの浮気、しかも回復できない。だから、これも治らない。

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34歳結婚詐欺女

メディアではまだ実名や顔写真が出ていないが、ネットには出回っている

地味、不美人、15号サイズ


従来の男を手玉に取るイメージを一新している


いや、だからこそ可能だったのだろう。
まさか、である。


淋しい気持ちに付け入るのは、ネットで顔も見えないからゲームみたいなもんだ。それを取り込んで行くのも人間相手というより、ゲームのレベルが上がるようなもの

多分、罪悪感はないはずだ

まず自分自身でさえセレブを気取って、現実と違うキャラ設定だ

この女はある意味、ゲーマーだ

しかし問題だったのはゲームのように、ジ・エンドとはいかないこと

生身の人間相手という課題に突当たる。それで考え付いたのが消去だ。
しかし簡単にいくはずもない。痕跡は意外な所に、被害者のブログにあったわけだ。

この女の取り調べは大変だと思う
あまりにも仮装の自分が大きく、本人の人格は浸食されているだろう

男性は思い込みに気をつけよう。
女はすぐに気が付くものだ。
自己主張しない(あなたの好きなように)薄化粧で(またはノーメーク)さらふわロングの女の方が腹黒い

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2009年9月15日 (火)

パワーストーンについて

私も好きで身に着けるパワーストーンだが‥


石に癒されたり、パワーをもらうのは、あくまでも自分の中から涌いて来るのであって、何も知らずに石に触ったら電撃のごとく力が涌くなんて、有り得ない


もちろん、そんなんわかってます!という人が殆どだろう

色目や石の雰囲気で落ち着いた気持ちや活力を感じるのはわかる


しかし、最近はいるのだ。落ち着いた気持ちになれる石の組合せでブレスレットを作るなら?とか家庭がこんな状況だから家族に持たせるには?なんてね


自分ってものがない!


自分が落ち着く気分になれたら、それが今の自分に合う石だろうし、これ持たせたいと願えば、同意を得て持たせたら良い

インスピレーションが大事じゃないのかな?

パワーストーンのパワーを引き出すにはインスピレーションを磨かないと‥

石が呼んでる、と感じるようにそのうち、なります

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共依存の人‥その4

共依存者C子の生育歴は当人の告白によるので、全てを鵜呑みにはできないが、裕福な家庭に育ちながらも姉妹の扱いに差が激しく、C子は親の関心をマイナス面で受けていた

そのため、早く家を出たいと強く願っていた。また多少、不良グループとの付き合いもあったようだ。

10代のうちに結婚し、夫の母親と同居し支配的な扱いを受け、追随する夫からは暴力を受けるようになる


しかし、そこにとどまり子どもも設けたが、結局は暴力に耐え兼ねて、子どもと逃げ出す。

すぐに捕まえられて子どもは取り上げられ、追い出される


完全な精神的捕虜である。逃げようとはしたが、各種相談機関の利用や協力者はいない。

また小さかった我が子を簡単に取られている

離婚も夫と母親の意思のもとだ

精神的肉体的DVを実家でも婚家でも味わっている

C子は生きて行くために水商売を長くするが、男性への不信感はますます増したようだ

溺愛しているペットの犬以外に安心できる相手はいないかもしれない

しかし、渇望しているのである。自分を認めてくれる相手を

そこが依存症患者が付け入る隙だ。
そして歪んだ利用をされても、そこから離れられない


A子と縁を切れば良いではないかと誰しも思うが、簡単にできないのがC子なのである。


共依存者は依存症患者がいないと自己評価できない悲しさがある

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2009年9月 7日 (月)

共依存の人‥その3

依存症患者の話が続きます

結局、依存症患者と共依存者はコインの裏表みたいなものだ

依存症患者に好ましくない成育歴があるのと、同じように共依存者にもある事が多い

性的依存症のA子に戻ると、自分の目的のためにはC子を利用する事にためらいはない

正面からいくら何でもC子にダンナに隠れてB男とデートする手伝いをしてくれとは言えない。
嘘をついて、あとからC子にバレるのだが、立腹しながら手伝うC子にある問題は、ある意味ではA子より根深い。

A子は何らかの原因で埋め合わせないと自己感が得られない状態で、埋め合わせるものが異性だ。そのために手段を選ばず突き進んでいる


C子の闇について、次回に述べる事にする

C子については成育歴など本人から聞いたものもあり、共依存者の背景が垣間見える

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2009年9月 3日 (木)

共依存の人‥その2

依存症の人、このケースでは異性への依存が強いA子であるが、暴力に依存すればDV、アルコール依存症、また問題になりにくいがニコチン依存症もある。チェーンスモーカーの心理的アプローチは一考の価値があると思う。

買い物依存症もあれば、性的関係に関係なく人間が対象となったり、とにかく多くの潜在的患者はいるだろう

誰しも依存傾向はあるわけで、病的に至るには社会的に許容されないレベルになった場合だ


折しも昨日、NHKで平安の歌人、和泉式部の特集をしていた。

彼女はわかっているだけでも10人を超える男性と付き合ったわけだが、恋愛依存症と言えるのではないか


どちらかと言えば、弾けた性格より大人しかったり、ある意味、我慢強い人、躾が厳しい家庭に育った人‥依存症患者は二面性がある

よくDV夫が会社では評判が良かったりする話を聞く


和泉式部も和歌千首を暗記させる父、疎遠な夫に一途に振る舞って来たわけだが、夫の裏切りを知った時、堪える対価を失う

和歌で父や世間に褒められたように、尽くして夫から愛情を得るべきが、それがないばかりか他の女に向いていたのである
対価は支払われる‥それは他の男からだった

続きは、また

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2009年8月31日 (月)

共依存の人‥1

依存症のA子と巻き込まれるB男にC子


A子は異性への依存症である。なんとGPS携帯でダンナが位置を把握するようにしているから、筋金入りなのだろう

子どもはおらず、40代前半である。

セミナー受講でB男と知り合って、B男にアタックしたようだ。B男がなぜ簡単に落ちたのか‥
B男も同年代の既婚者なのだが

B男は影が薄い。ある意味、踏み込まれやすい。
A子のペースに巻き込まれて行く
しかしA子はダンナの監視がある

そこでA子が取った方法はC子を巻き込むこと
アリバイ作りをさせたのである

なぜC子が荷担したのか。最初は知らなかったのだが、C子は知った後もアリバイ作りのメールや電話をするのだ

C子は極めて共依存の人なのだ。そしてA子のような依存症患者は共依存者を鋭く見抜く。

B男、C子はA子に操られていく

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2008年8月23日 (土)

新型うつ病の裏側

前回、新型うつ病には精神分析も併用してはどうかと言う話をしたが、その補足である。

なぜ精神分析を持ち出して来たかと言うと、新型うつ病はある意味、適応障害だと思うからだ。

不適応を起こしている要因が明らかにその現場にある場合は除くが、程度の差はあるにせよ、言葉としては厳しいが人格障害が根底にあり、それゆえの不適応や鬱状態なら従来の抗うつ剤が効かないのは仕方ない。

人格障害といっても単に未発達なもの、歪んだ認知パターンを持つもの、いろいろだろう。

しかし不全な人格形成が起きやすい条件が現代社会に備わっているとすると‥

もう、これは社会の転換期の一種の兆しなのだろうか。

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2008年8月20日 (水)

新しいタイプのうつ病

うつ病と言うと全体的なエネルギー低下が見られるものだと思われていた。事実、寝てばかりで動けないとか何か好きだった事にも意欲が沸かない‥

しかし、新しいタイプのうつ病と言われるものは極めて限定的らしい。
会社でのみ発症し、後の場面は元気にしている。
と聞くとわがまま!と思えるのだが、実際は具合が悪いのだから仕方ない。

無意識の活発な働きが限定的場面に引き起こされて、意図せぬ不適応を起こす、と言えないだろうか?

多分、本人は十分にエネルギーを持っているし、従来の抗うつ剤が効かないと言うのもわかる気がする。

他の精神疾患でも必要だと思うが、特にこういう人たちには精神分析が必要ではないのだろうか。
なかなか病院でやってくれる所は少ないが‥

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2008年3月10日 (月)

心理学あれこれ・・・スクーリング

スクーリングから昨日、帰ってきてヘロヘロである。2日間の講義中にレポートを二つ出すということで、私の脳内は今、かなりエネルギー不足状態だ。身体の脂肪を燃焼させて脳にいくらでも送ってあげたいが、そうはいかないようだ。

今回の矢田部ギルフォード性格検査は、予想はしていたが、結構ひどいことになった。会社なら不採用だ。しかも、世の中の人は大抵ヘンだろう~という私の思いこみはハズレで、周りを見回すと大抵、普通だった。。。やっぱり私の認知はゆがんでいるのか?

それはさておき、今回は疲れていたせいもあったのだろうが、集中したいときに大きな話し声がするのが気になった。作業を黙ってできない人というのが必ずいるのだ。しかも女性に多い。PCのマウス一つ動かすたびに(たいてい似たもの同士でひっついて座っている)お互いに実況中継状態になる。自分の作業でなくて合同作業では意味がないだろう?と思ったりするのだが、とにかく手と口、目と口が直結状態だ。間に脳は介在していないのではないだろうか?

文句を言っても仕方ないので、どうしてなのか考えてみると、これは一種の確認作業を彼女たちは行っているわけだと考えられる。その根底にあるものは不安や自信のなさ、ということになる。だから、それを共有しあっているのだ。しかし、大人の学習態度としてはどうなのかな?作業結果が間違えるのはイヤだけれど、何でも聞いてしまうのもどうなのだろう?

とか、思っていたら今の学校現場でも同じ?と思い当たった。

とりあえず、期間中にレポートを書いたりするようなハードなものは、もうあと一つだけになった。地味なレポート作業は溜め込んでいるので、これから少しやっていかないと。。。

半年遅れだが、何とか半分の道のりは来たので、来年の4月を卒業の目標にして今年の上半期は単位、下半期は卒論と、、、できたら、いいな(笑)

それより、イカナゴがまだだ!神戸の人間としての一大イベントをこなしていない!変な時に事故を起こしよって、腹たつな~~~

おせちは作らない。しかし、イカナゴは炊く!

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2008年3月 3日 (月)

心理学あれこれ・・・布置

スカラベ(黄金虫)は再生のシンボルとされている。古代エジプトより今も。。。そういえば、映画ハムナプトラで大量の肉食性スカラベに襲われるグロなシーンがあったが(笑)

それが夢に現れたと話をする患者、それは回復の兆しだと考えるユング、そこにたまたまハナムグリがブーンと窓に飛んできてコンコン当たった。というのが端折った布置の話なわけだ。

布置を超現象と捉えたい人が必ずいる。これは日本人がオカルトブームや最近のスピリチュアルブームなどを見ると、そういう部分に敏感な人が多いとわかる。宗教的基盤がないせいかもしれない。

最近も心理学者でもないのに、布置を音楽評論に用いている例があったが、何となく釈然としなかった。心理学用語を用いて、話をするのはある意味、危険だからだ。もちろん、私もプログレファンとして、彼らの精神的世界を分析するのは好きなのだが。

心理学が胡散臭いと思う人がいることは否定しない。その根拠にされやすいのが、こういう布置の概念のような科学的で捉えられない事柄なのだ。

だから、私はユング派にはなれない。むしろフロイディアンかもしれない。布置を否定しない。それが、その患者の心理的状態に及ぼす影響という事まで含めると布置は意味を持つと思う。

「ほら、スカラベみたいな虫が偶然、来ましたね!」

それを見た患者が「あぁ、私は良くなってきたのだ!新しい自分になり始めたのだ!」と感じ、行動に変化が現れたとする。(これは数値化できるだろう)そうすると、布置は意味を持つ。

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2008年2月25日 (月)

動機づけ

寒すぎる。先週からまた、湿気が合わない人用の漢方を飲み始めた。そんなものがあるのか?と思うが、あるのである。でも低調の波に週末あたりから入ってきたので、さし当たってのスクーリング事前学習が厳しい状況だ。でも、やっていかないと不可もあり、だ。

何だか脅迫半分な事前学習の課題である。

さて、今の私にはこの事前学習は外的動機付けである。ものすご~くスクーリングが楽しみで、その準備さえ一部と化していれば内的動機付けになる。それが望ましいのは百も承知だが、関数が入った資料は見た瞬間に目が拒否しそうになる。(集中力が欠けている証拠だ)

おまけに担当教官の中に唯一、可しかくれなかった恐るべきK教授がいる。どんどん、自発的動機が薄れていくのに十分な状況だ。しかも、内容にYG検査があるのもプレッシャーだ。性格検査法だが以前やったエゴグラムのように少ない質問数ではないので、ごまかし?が難しくなる。知りたいが知られたくない自分の実態だ。エゴグラムですら、「あ~、やっぱりなぁ」と思ってしまった。帰宅してからダンナにやってやろうとしたが、断固拒否された。それも、問答無用の強い拒否だ。自分を知るということは、ある意味、精神的負担なのである。多分、無理やりさせてもイロイロと理屈をつけて否定するのも目に見えている。一方、本人が得意としている記憶力の実験協力はホイホイとやってくれた(笑)

さて、内的動機=自分自身で作り上げる強い動機、外的動機=外から与えら得れた動機である。子どもに勉強させるのに外的動機づけを多用している例は多いのではないか?スポーツ選手が試合の目標を聞かれると「自分が楽しみたい」と答えると、不謹慎などと思う人もいるだろう。特に結果が思わしくなかったのに「自分が楽しめた」などと言うと「たるんでるぞ!」などと思ったりする人はいないだろうか?私の父親などは愛読書が石原慎太郎の「スパルタ教育」だっただけに、モロにこのタイプだ。

ところが、「楽しむ」ということは内的動機付けがされているということである。だから、非常に強い動機を持っているわけで、決して試合にたるんだ態度で臨もうとしているわけではないのだ。どちらかというと外的動機づけが強すぎると緊張して失敗したりする。

日本人には一種の「禁欲は美徳」的な発想があるが、「楽しみの効用」ということに目を向けてみたいものである。もちろん、堕落と楽しみは別の次元である。

という、私が今から楽しんでレジュメを作れるかどうかというと難しい。だから、こんな事をしている(苦笑)

さて、とりあえず音楽をかけてコーヒーでも飲みます。

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2008年2月 1日 (金)

ムンクの心象風景

今日はムンク展に友人と行った。心理学的に見るようになってから、特に興味がある画家だ。

まず、実際に彼が感じていた世界として、あの絵を見ると一貫して人の顔、特に目が曖昧、いや描かれていない。また自分や姉妹以外の他人が(後期は少し違うが)まるで空虚なのだ。
他人の内面へ自ら入る姿勢は感じられない。
統合失調症のゴッホとの違いは、この辺りに感じられる。入り込み方に独自のものがあるが…
ムンクには独自の閉ざされた世界と環境への知覚異常があるように思われた。高機能自閉症と疑われているのも理解できる。いや、そうならばつじつまが合う気さえした。
多重人格を絵に表したと考えられるものもあり、ひょっとすると彼は生来の人格と世間で生きて行くための人格を自覚していたのではないか。これは、高機能自閉症者の手記にも、自分なりの使い分けについて言及されている。
一時期の絵ばかりが彼のイメージを作っているが、やがて彼の内面が折り合いを付けていく様子がわかるような幅広い年代の展示で非常に良かった。
ミュージアムショップで叫び人形(腹部を押すと甲高い声が出る)が売られていたのは、失笑だった。

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2007年11月 8日 (木)

今、この時

心理学をやると、余計に人はわからないものだ、と思うと講義でも、河合先生の本にも書いてあった。
全くそのとおりだと、つくづく思う。今まで培った人を見る目がいかに信用ならないものかと思う。
まあ、息子にまで男を見る目がないと言われてしまう私である。
彼は独身主義だそうだ。オレは所詮、女にはオモロイ男で終わるタイプと恐ろしく客観的に自己分析をしている。中学2年のくせに!
話はそれたが、人はわからない。そう深く感じるうちに、ロジャーズの「今、この時」の感覚が掴めるような気がして来た。うまく説明できないが、なぜ継時的でないのかという事がわかる気がして来た。

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2007年11月 4日 (日)

今日も仙台から

家族心理学と教育心理学のダブルヘッダー!
家族心理学は興味があるのだけど、行動療法とブリーフセラピーをミックスさせたような感じ…SCの現場はそうなんだろうか?
システム理論はよく分かるのだけど、分析的カウンセリングとは折り合わないのかな?
いや、小此木先生はフロイディアンで家族心理学だ。帰って、もう一度読み返そう!

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2007年10月 4日 (木)

レポート9本

とにかくレポートが貯まっている!8本だ!8本!とにかく2本、先週仕上げたのだが、ここからが私の問題な所だ。納得いかないから、清書までしたのに破棄してしまった。取り合えず出せばいいのだけど、テストも合格しているだから。。。でも、できないのだ。

11月になると、また2教科のスクーリングがあるから、4つ増える!!今月だけがスクーリングがないから頑張らないとまずいのに、集中力が出ない。

小康状態を少し保ちそうな祖父の付き添いに週に1度、車を出すことになった。でも、私も祖父の旅立ちを手伝えるのは嬉しい。それに、私は継次処理の人だから、レポートにだけ集中しろ!というよりはかどりそうだ。事実、午後は学校の用事とか決まっている日の午前中が一番、勉強している。一日、家にいると何もしないのに。

今日がいい例!朝から少し資料を整理しながら、ハズレたくせにZEPのライブをまた見る。いい加減に知人に返却しなくちゃいけないし。そしたら午前が終わってしまった!午後からは、書き直しレポートの構想です。でも、昨日のボイトレでベタなハードロックの課題曲があった。なぜか頭にスコーピオンズが浮かんで聴きたくなったけど、持っていない!シェンカー弟でガマンするとしよう。って、また、はかどらなさそう~(苦笑)

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2007年10月 2日 (火)

死を迎える人と

小此木啓吾氏の著作で「家庭がもやは生死の場としての機能を失いつつある」とあった。確かに私は中学の頃に曾祖母が他界した時以来であった。土曜日に施設に入居している祖父が入院になり、危篤であるという連絡が入った。しかし、まだ緊急ではないということで、様子を見ることになった矢先、昨日の夕方に母から連絡があった。

「逢わせたい人がいれば一日でも早くとお医者さんから言われた」と。

幸い、車で1時間少しで行けそうな病院だったので、夜に面会に行った。

行くまでは忙しく子どもがあまり得意でなかった仕事人間の父の代わりに沖縄や上高地や色んな所に連れて行ってくれた想い出が浮かび、高齢で仕方ないとはいえ、哀しい思いで一杯だった。イタリアにも80歳を過ぎてから来てくれた。イタリア人は年を聞いてビックリ。レストランでワインを「これはもひとつや!」とハッキリ言うのだが、同席していたワインを選んだイタリア人が「ノンノは正直だ!」と感心していたのを思い出した。老人に対して敬愛の念が日本よりずっと深いと感じたものだ。

祖父は、もう94歳になる。だから徐々に衰えていき痴呆が進む様子を見てきた。今まで誰かが亡くなっても、既に亡くなった人と葬儀で対面するのが関の山だし、その数だって僅かだ。

いざ、会ってみると私がわかるようだった。意識のあるなしに関わらず、人の聴覚は最期まで残る。だから、言葉には気をつけなくてはならない。老人の心理については、特に痴呆の場合について、深くまだ学んでいないが、聴こえているということ以外に、思い出に生きていることを大事にしてあげることが、その人を尊重することだと知った。突飛なように思えても。。

実際には、哀しいというより、私は厳粛な気持ちになった。手を握ると暖かかった。「わかる?」と聞くと頷いた。「痛いところない?」と聞くと首を振った。どちらも、かすかに。他の難しい事はもう反応はなかったが、何かをじっと目で追って首をそれにあわせて動かすので酸素マスクがすぐにずれて何度も治した。「何、見てるの?誰かおるん?」と尋ねると、急に開いたままだった口を真一文字に結んで微かに頷いて私を見た。まだ、痴呆になる前の表情がそこに見て取れて、ドキッとした。もう、誰かが来ているのだ、私に見えないだけで。別れが近いのだ。

一緒にいる間に息が詰まってあえぐ瞬間があった。このまま止まってしまうのでは、と肩をつかんで「大丈夫?」と声をかけると、その時もまた口を結んで真剣な表情で私を見た。穏やかだった。もう、ここを去ろうとしている事を理解しているのだろうなと思った。

残る側の人間はどうしたらいいのだろう?本当は今までの人生をねぎらってお礼を言うつもりだった。戦争にも行って苦労もして、楽しいこともあった人生を終えるのだから、ご苦労様と言いたかった。そして、良い想い出を沢山くれたことに感謝したかった。しかし、言えずに、「明日はお母さんが来るからその時にまた、会ってあげて」と言うような事を言ってしまった。一日でも生きながらえる気持ちを持たそうという発想が、我ながら残る人間のエゴを感じて情けなかった。自分の人間としての未熟さと老いて去る人の荘厳さを痛感しながら帰途についた。

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2007年9月12日 (水)

ながら族・・・同時処理の人、継次処理の人

最近、欲しいものの第1位はiPodである。(30GB~)

仙台に行ったり、ボイトレに行ったり、金遣いが荒いので、気が引ける。しかし、必需品だと主張している。

なぜ、必需品なのかというと、私が極端に「同時処理の人」だからだ。簡単にいうと「ながら族」だ。

人間は並行して複数の物事を進めるほうがはかどる「同時処理のタイプ」と、一つ一つを片付けていく「継次処理のタイプ」に分けられる。

同時処理はうまく行っていれば要領が良いということになるが、下手をすると散漫だ。継次処理だとトロイと言われかねないが、確実性があるという強みがある。まあ、一長一短である。もちろん、どちらかといえば。。と言うくらいでバランスの取れている人も多いだろう。私のように極端なのは少数かもしれない。先日のスクーリングのような状況は、はっきり言って大得意である。調子が良い時のレポートは複数同時進行だ。

で、同時処理の私が勉強している様子を見て、継次処理の夫はあきれ果てる。音楽鳴らして、場合によってはリズムをとりながら、本を読んで、PCにまとめたり手書きで書いたりしているからだ。テレビまでついていたりすることもある。もちろん、不真面目に見える。

勝手なもので自分の気に入らない音だと処理速度は落ちる。しかも、家族のメンバー揃って私のことは「変なロックおばはん」だと思っている。休日は音源OFFで非常に居心地が悪い。図書館に逃げても音がないのが問題だ(当たり前だが)

で、「卒業するためにはiPodがいる」という極端な話になったわけですね。。爆

明日はダンナが休みらしいので、日本橋に行ってみます。(たぶん、本人は自分のヲタ趣味の店に行きたいのだ。)

日本橋には70~80’sにこだわっている私好みの中古レコード屋があるらしい!仙台の中古屋のオヤジさんから情報だけはGETしているのだが、なかなか行く機会がない。ヲタショップにダンナが行っている間に近ければ行ってみたい!

で、今、私のPCから流れているのは

The Song Remains The Same  ♪

Led Zeppelin

Zeppelinを聴いていると、歌(Vocal)ありきの考えは間違いだな~っていつも、思う。あくまでも一つの作品を構成する一つのパートなんですね。これを完成度が高いって言うのかな?

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2007年9月10日 (月)

ぐったりと元気

何とか皆様3日間のところを2日間の参加で講義を受けて昨夜、戻ってきた。一日、少ないのだが年齢のせいか、疲れは一日余分にあるという感覚だ。プレッシャーもあったし、テンションをかなり上げて自分なりにキープしていたが、それがまたイヤではなかった。

大学側は、講義の内容や初日のビデオを貸してくれたりと非常に気を遣ってくれた。感謝している。ただ、ビデオは見る時間が1時間半ほどしかなく(全体は5時間以上)、どこが見るべきポイントかもわからなかったので見たのがプラスになったのかどうかはわからない。

しかし、これもビデオを見たから言えることであって、「貸してあげますよ」と言われたのを断ったら、それはそれで試験の出来やいろんな事に絡めて気になり続けてしまうはずだ。性格上、借りないという選択肢はなかったはずの私だ。

いつも、試験のときには、時間目いっぱいかかってしまう。退出許可が出るや否や、去っていく人は、余程、出来が良いか投げやりかどちらか?と思ってしまう。今回も記述で時間がかなりかかってしまった。お土産は空港で買うしかない。

試験後、タクシーに乗って、運転手さんと雑談をしながら、仙台駅まで行った。お釣りを余分にくれていることに後から気がついた。つい半月ほど前も運転手さんがメーターを倒し忘れて初乗り分しか払わなかった。運転手の皆様、私が乗ったら気をつけましょう(笑)

お土産は、前回がホテル近所の蒲鉾屋で、行列して買ったアメリカンドッグ風揚げ釜と「萩の月」だった(あまりにも定番)。今回は人からおいしいと聞いたので、お豆腐蒲鉾と子どもらに生ドラ焼きを買う。あとは母に「ずんだしら玉」。ドラ焼きの賞味期限が短いので、10個入りを買ったため、お店の人が心配してくれる。なるほど、売れているのは5個入りばかりだ。しかし、心配無用な我が家だ。

無事に帰宅し、近所でお好み焼きを食べる。鉄板焼きもしているので、仙台ではなく帰ってきてから牛タンをツマミに食べた。生中2杯を飲んだら、疲れもあってフラフラになった。帰ってきて、そのままぶっ倒れて夜中まで意識不明。

講義は実習もあって面白かったし、また元気が出てきた。臨床心理学の講義は自分を追い込むような気持ちになった。そのため、心理療法の講義を受けるのが少々、不安だったのだが、受けてみて逆に、自分の中に良い発見もできた。実習はそういう意味で役に立った。

少し気持ちが前向きになったところで、今朝から少しずつレポート準備を始めている。文献を探して予約をしたりしている。今は書けそうな気がしてきている。たぶん、無理やりにでも仙台に行って、何かエネルギーを得てきたのだろう。

寝不足で寝るのは当然なのだが、疲れているから何かしてみるというのも一理あったりするのだ。人間の心的エネルギーのバランスとは、どこかしら数学的な部分があるな~と感心する。

今日は心地よく音楽を流している。借り物のSteelyDan♪ 

Shobiz Kidsの中の「Aja」がかかっています。

大阪ビルボードライブに行った人はどうだったのでしょうね?2万?千円という高額なチケットに杮落としとはいえ、ちょっと驚いた私ですが、行っただけの満足感はきっとあったのだろうな~と思います。

まあ、月末にラリー・カールトンには行きますからっ!

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2007年9月 3日 (月)

学習させるということ

今日から新学期だ。朝、起きれるかどうか心配だったが、ちゃんとお弁当に間に合った。それを忘れていこうとする長男!忘れてコリゴリな目に合えば本人のためなのだが、イマドキの学校は忘れ物を取りに帰るというのはNGだから、親に電話がかかってきたりするので、舌打ちしながら「大事なもの忘れてるやろ」といわざるを得ないのだ。(それでも「カンペキやで」と答えるから、どうしようもないが)

結局、自己変容して学習しなければ身に付かないというのに、どんどん奪っているのが現代社会である。昔のように「取って来い!」と学校から家まで走って、子どもがいない時間に恥ずかしい思いもして取りに帰らされたほうが学習できるのだ。

社会心理学でこういう内容のことをやった時にも疑問に思って、報償的な教育法が現状、大いに評価されている分野もあるが、と質問したが、歯切れのよい答えが返ってきたとは言いがたかった。他の技法を批判するわけにもいかないしな~と思いながら聞いていた。きっと、教育心理学や学習心理学をやったら、また同じ疑問が湧くのだろうな。

うちは勉強のことで褒美はあげたことはない。なぜなら、勉強は子どもが自分のためにしていることだからだ。しかし、学校でそういう話を仕入れてくる。そういう時はキッパリ言い放つ。「よそはよそ」というのも子どもは納得しないが、これですぐ退散する。

「勉強して得するのは誰?」

もし、これで「お母さん」とでも言われたら、かなり深刻な事態だ。もちろん、実際の損得でなく「誰の脳みそがバージョンアップするか」という話だし、息子もそれを理解している。

息子の成績は悪い。しかし、それも私はとやかく言わない。必要である程度はその子によって違うから、自分のためと思える範囲まですればいいのだ。範囲は教えるプロである先生と息子が考えることだ。できる事を手を抜いた時には厳しく怒るが。

そういう私が「あと2年ほどで大学は終わらせないと」と言うのを聞いたドクターに「本当の勉強の意味」を諭されたのだから、矛盾した話である。これは親に「勉強→実際の損得つまり良い大学は良い会社や良い結婚」というように言われ続けたことに、未だに縛られているわけだ。おっと、自己分析は禁止だった。。。

今日は大阪のビルボードライブに行くことにしているラリー・カールトンの名曲。

♪Room335

夜になると違う曲が好きなのだけど、こんな午前中なので。

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2007年9月 1日 (土)

心のモードチェンジ

夏休みもやっと終わる。長男はお気に入りのマジンガーZのTシャツでお出かけだ。相変わらずのヲタぶりだ。ちなみに今日はZのロゴで白。黒でロケットパンチ版も持っている(笑)

今日は音楽の話メインではなくて、心理ネタのほう。

このところ、日内格差がひどかった。とにかく、午前中に動けない、そんな状態が1週間ほど続いていたが、珍しく今朝は6時に起床して、その後も普通に過ごしている。夫もいないので気楽。

クリニックで自己分析をしないように言われたが、なかなか難しい。臨床心理の先生から「自己分析は必須」と言われているし。。。でも、ドクターいわく「その人が言ってるだけでしょ」

とにかく、自己分析すると症状が悪化するので、それを目的とした心理療法も受けないほうがいいとのこと。逆に知識は他者の分析に応用すればよいという。

「この人が自分に取っている態度に影響されている自分の深層」を分析するのでなく「なぜ、この人はこういう態度を自分に取っているか」という事を分析しなさいと言うことなのだろうと、これまた分析する私。

先日、ある人と会っている際に段々と耳に閉塞感が出て、息苦しくなってくる自分を感じた。同じ子どもの問題を抱えた知り合いなのだが、そういう場で症状がよく起きる。半日ほど一緒にいたのだが、3時間ほどしたところで、ふっと切り替えることができた。

「取り込まれモード」から「分析モード」へ。。と言ったら変なのだが、「中立的」になれたのだ。そうすると気分の悪さも収まり、呼吸もラクになった。

これを身につけることができれば、きっと私もラクになれる部分が大きいのだろうと実感した。しかし、距離が近ければ近いほど、それは難しいと思う。感情を大きく伴う相手には。

「中立的」を感覚で経験できたことは、少し自信になった。精神科のボランティアに、時間が合えば行きたいと思っていたのだが、不安だったのだ。ドクターには「プラスになる」と言われたものの、自分の中では、いざ臨床の場での自我の弱さが気になっていたのだった。

個性的な知人には感謝しなくては!

今日は東急ハンズでGETした、青いストラトキャスターのストラップにちなんで、こんなアルバムがあるそうですから、ご紹介!

THE MASTERS OF STRATOCASTER
~50th Anniversary 1954-2004

海外ギタリストだけでなく、国内版もあるそうです。

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2007年8月29日 (水)

ボイストレーニング体験

昨日、かねてよりやってみたかったボイストレーニングの体験に行ってみた。

今までの「こう見られようと意識して、こうある自分」(わかりにくっ!)は、自分としての連続体の延長でしかいられなかった。

例えば習い事一つにしても、何かの延長にあった。外国語とか。

ここで、まったく新しい事、しかもやってみたかったことをやってみるというのは何か自分でもワクワクする。

こういうのを一種の行動変容というのかな?と自己分析はやめるよう言われているにも関わらず、分析する私だ。

とにかく、ボイトレは筋力勝負だ。部分的だけど。身体に緊張感がこれほど、いるとは。。腹筋はもちろん、だけど、背筋とかも必要だ。

しかし、何事も人生、無駄がないのかも!と実感もした。

なぜなら、姿勢は子どもの頃にやらされたバレエで、頭の上に糸がついていて引っ張られるイメージが私には想像できるし、腹式呼吸は演劇部で2年間いたおかげでできる。

発声練習もその時に「あめんぼ、赤いなあいうえお」で大教室で、声が通るようにやらされた。

外国にいたおかげで日本人が意外に母音の発音に弱いことも理解している。特に「い」と「う」はかなり意識して顔全体で発音しなくてはならないのだ。

こうすると、まったく初めてのボイトレに色んな過去の経験が活かされているのだ。

ちなみに、これから多分、1年くらいは基礎トレが延々と続きそう。。。既に打診(笑)のあるボーカルのパートを受けれるレベルになるのはいつだろう!!でも、友人とはZEP、しかも「天国への階段」などメチャクチャな目標を立てている無謀な私たち!怖いもの知らずの関西オバハンバンドである。(ベースがまだいない)

やってみると案外、私の声はでかかった(笑)

ハイテンションで知り合いのところにかねて予約?のDVDを見せてもらいに行って、2時間ほど音楽談義をしてご機嫌で帰宅した。子どもには好物の牛丼を用意してあったので、私の不在など意に介さず、ご自由に過ごしていた。

見てきたのは、クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックの三人が共演しているというすっごいDVDだ。別の意味ですごいのは、たぶん企画のメインを張っているクラプトンはご機嫌だが、(歌が今よりかなり下手)あとの二人がやる気ゼロなこと!ジミー・ペイジはどう見てもラリってるし、ベックはソロ以外は弾いていないのでカメラもわざと避けている。協調性のなさが見ていて、楽しすぎ!しかもベック、ソロになったら歌ってる。。。やめてくれ!と言いたいくらい下手。ボーカルは悲しいくらい地味なスティーブ・ウィンウッドなる人がいるのだが。

ちなみに、このいわゆる3大ギタリストで私が一番、スキなのはジェフ・ベック。ここで、結構、タイプがわかったりするかな~。ギタリスト占いでも考案しようか。

今日の一曲は三人で一応共演していたラストナンバー「レイラ」で行ってみます。始まりの部分が有名だけど、知人と意気投合したのは「最後のインスト部分のほうがいい!」ですな。

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2007年8月28日 (火)

ミクシィから来た方へ

ずっとお休みしていたと思ったら、いきなりココログに移動!

しかも、内容が???と思うようなチェンジぶりで驚かれたかもしれません。

人には、それぞれに与えられた役割があり、それに応じた自己適応をするのが良い人生だという考え方があります。

しかし、一方で、人は何かとして生まれたのではなく、その人として、まず存在するということも事実です。

両者が一致すれば、非常に幸せなことでしょう。

ここでの私は、よりパーソナルでありたいと思っています。

もちろん、今までの経験があっての上での私です。それを否定する気は毛頭ありません。そちらのジャンルでのお話もメッセージを戴けば、嬉しいです。

まだまだ勉強中の身の上ですが、この邂逅が意味することは徐々に具体化していくことになるのだろうと感じています。

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2007年8月27日 (月)

洋楽カラオケ

夕べ、すごくイライラしていたので8時半ごろから外の空気を吸いに出た。いつもなら、落ち着いた安全なゾーンを徒歩か自転車で徘徊するのだが、昨日はやや気分がささくれていたせいか、繁華街へ歩いていった。

どうせ、すっぴんだしオバハンだし、軽装だし。。。と思っていたけれど、男の人に付きまとわれたりしたので、ダンナに電話をかけて呼び出して、車でドンキの前で携帯をいじってスキなく振舞っていた。

で、近所に見えていたカラオケ屋に行って、洋楽カラオケ三昧(ダンナには一切、その趣味なし)と思ったけど、全然、曲がなかった。。。以上にキーのひくい「オネスティ」をやむなく歌う。なのに、「ハイウェイスター」があったのは、なぜ??歌えません!

どこか、洋楽カラオケの充実しているところってないのかな??ちなみに、そこはジャ●ボでしたが、うちの辺りにはジャ●ボが多いのだ。

実は歌うと上手いのは(自分で言うのもヘン)中島みゆき、だったりする。それでも、洋楽なのは、外国で生活していた時も、そうだったが、違う自分でいる心地よさがあるからだ。たぶん、実際は、それが違う自分なのではなくて、本当の自分を映し出しているのだろう。

そうそう、この歌、好きだけど歌うのは無理だな~と思った一曲を、今日はあげておきます。

♪ I Don't Wanna Miss A Thing  ( Aerosmith )

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2007年8月26日 (日)

依存という安定剤

共依存は依存症患者がいなければ、成り立たないので依存症患者を糸口にしてみたいと思う。

依存といっても、いろんなカテゴリーがあると思う。何かを摂取する即物的なもの、人間に対するもの、過程におけるもの、複合的なもの。。。薬物、アルコール、特定の人物、買い物、万引き、恋愛、性的なもの、数えあげれば多数ある。

いろんなサイトが「やめましょう!頑張りましょう!」的な内容で展開されているけれど、依存する根底にあるものが解決できないと意味がないように思う。「私もやめます!」とその場では言いたくなるだろうが、依存そのものが心の危うい安定を保っている材料だったりするからである。

ピアカウンセリングは有効だろうが、違法ドラッグや万引き、セックスなど人に言えないような依存症の場合は日本で、それをオープンに当事者同士であっても話し合えるのだろうかという疑問もある。話し合いの結果は「やめましょう」に決まっている事なのも、陥ってしまっている人には勇気も与えるが、不安を与えるかもしれない。

とりあえずは「今の自分にはこれが安定剤」ということを意識するほうがいいと思う。そして、やめなければならないという意識がどれほどあるのかということも自問すべきだ。その人の認識の上では辞める必要性がない可能性もある。ただ身体を壊すような、アルコールや薬物ならそういう意味で説得した上で、投薬はしたほうがいいと思う。専門家にかかる段階では、かなり進んでいることもあるだろう。それどころか、身体的、社会的に破綻に近いことも。

もし、専門家に相談するなら、「治したいんです!」と自分が強く感じていなければ言わなくてもいいと思う。「絶対に、そんな事だめ!」と常識で誘導する治療者も私は疑問に思う。治療者は「この人にこれが必要な事情」を共感しなければ、うわべのいい子でクライエントは終始しかねない。そして、来るのもやめてしまうだろう。専門家に相談した時点で解決は見えかけているとは思うのだが。

とにかく、その人にとってはそれが心の安定を図るという誤ったパターンになっている。危機介入がすぐに必要かもしれないが、バランスを変えるのだから、細やかな配慮と代替パターンをスモールステップでケースバイケースで本人が受け入れてもらえるよう対応していかなければならないのではないかと思う。

依存症患者の行動パターンの変化は共依存者に伝わっていくと思う。そこで、一緒に治療を受けることで共依存者も悪い自我の安定の仕方に気付いていけるのではないだろうか。

今夜は少し元気が出る一曲で

Revolution Rock (Clash) ♪

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2007年8月23日 (木)

AC、共依存

前にACや境界例に触れたところ、そのページのアクセスが多かったので、このテーマでしばらく行ってみたいと思う。

まず、AC=境界例ではない。境界例は心的な水準を分けた場合の一つであり、そこにACで含まれる人が多いのだが、必ずしもそうとも言えず、健康な心を持っている人もいるいし、神経症水準の人もいるし、病的な人もいる。

ACはそもそも、アルコール依存症の親を持つ子どものことだったが、拡大解釈が進んで、今は子どもでありながら大人的役割を強いられたり、被虐待児として成人した人のことだと考えていることが多い。成長過程において養育環境でトラウマを背負った人と思ってもいいだろう。トラウマの解釈も、このコトバが安易に使用されていることもあり、何とも言えないのだが。。。運動会でベベになってもトラウマとは言えないだろう。もし、その事で家に帰って厳しい折檻でもされたら別だろうが。

ACの場合、子ども時代は親の状態を常にうかがうことになる。親はある時は優しく、ある時は一転して鬼のようになる。その二面性に常に直面している。誰か補ってくれる人がいればいいのだが、このために人を信じにくくなってしまう。優しい親だけを見ていたい。きっと自分がいい子でいれば、優しい親でいてくれるのだ。自分が悪いと思いこむほうが、我が親が悪いと思うより子どもには救いなのだ。何と悲しい切実な気持ちだろう。虐待されながらも自分が悪いと思っている子どもは多い。

結局、子どもは人はその中に色んな面を含んでこそ人だという見方ができなくなっていく。そのため、大人になってから、苦しいことも出てくるだろう。恋人の一面だけを見て好きにもキライにもなったり、利用したり。

あるいは共依存者として、あんなに苦しめられた親のような依存症患者に引き寄せられるかもしれない。自分の認知上、合っているのだ。苦しいながらも。しかも、これが何故か磁石のように引き合ってしまいがちだったりする。

こういう一般例を言って「そう、私もACだし、共依存」と思っても意味はない。問題は、では、どうするか!だ。そもそも、それを変えることが新たな依存を生む可能性もある。だから、例えば、「断酒しなさい」「買い物依存なんてやめなさい」「あなたが飲ませないようにしなさい」「お財布をコントロールしなさい」だけで物事はすまないのだ。

こんな事を、ぼちぼちと自分の経験や周囲の事例を振り返って、心理学的に検証していってみたいと思う。

で、重たい話題になっている(しばらく続くのかな?)というところで、重たい内容の曲だけど、1人で辛いときに聴くと共感します。

「孤独のメッセージ」♪ポリス

孤独にさいなまれた男がボトルに入れて流したSOS

あきらめかけていた、ある朝、男は我が目を疑う

浜辺に打ち上げられた無数のボトル

寂しいのは自分だけじゃなかった。

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2007年8月12日 (日)

Stay With Me

今日から講義もメンバーも一新された。レポート書きも今日のところはない。時間の余裕があるので、寂しくなってきた。

夕方、冷房がきついので何かカーディガンでもバーゲンで買おうかと、この街で一番、大きいというデパートのFに出かけた。白いロングカーディガンとお徳になっていたのでグレーのカットソーを買った。

こちらの人は暑さ慣れしていないらしく、冷房がとにかくきつい。私には30度はまだ暑さがきついとは思えないが、とんでもない暑さらしい。設定温度がいったい、何度になっているのだろうかと思えるほど、ガンガン、冷房する。

人を分析するのは嫌われるのでしないほうがいいし、今日も先生が言っていたようにエネルギーがいる。だから日常でそんな事をしていたら身が持たない。そして、もし分析してしまっても口には出さないのが無難だ。誰にだって、どんな心理的可能性があるのだから、人の揚げ足を取るのはやめておいたほうがいい。取り合えず、臨床家を目指したいと思う以上、この事は肝に銘じておきたいと思う。

しかし、自分を分析するのは実害がない。ちょっと落ち込んだり、精神バランスに影響はするが。。。フロイトだってユングだって、やっていた。

今日は寂しい気持ち。大変な前半が終わって、少しホッとした部分もあるけれど、そういう時に寂しさは襲ってくる。

そんな気持ちの今日、思い出したのが懐かしいこの曲。アメリカに初めて行った時、サンフランシスコからLAへと続く道で聞いた。どこまでも続きそうな空と道と大地。乾いた空気と澄み切った空気。そして、見上げれば目がくらむようなまぶしい太陽。しかし、寂寥感が漂っていた。自由でいることは孤独でいることなのかもしれないと思った。

Stay With Me ♪ (Peter Cetera)

アメリカ!クリアな歌声!といえば、この歌。それからエアサプライ。おっと、クリストファー・クロスもあったっけ。昨日のブライアン・アダムスとは対極かも(笑)

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2007年8月11日 (土)

Englishman in N.Y.

大学の集中講義も4日目が終わった。前半はこれで終了だ。

明日からは、いよいよ私がこれから専門にしようと考えている臨床分野の講義が始まる。今、ブームと言っても良いジャンルで、面白おかしくテレビや本で伝えられている。一種のハウツー本も山のように出ている。その辺りで誤解が多いと私は危惧している。本来は非常に論理的、数学的、統計的発送に基づく学問がベースにあり、1人ずつ理解も対応もすべてオーダーメニューだ。そういう意識なしに実践を行うことは危険だと勉強すればするほど、思う。そして、自分を常に問い直す厳しさも。

自分の資質が高くないといけないようなプレッシャーも感じたこともあるが、残念ながら私は欠点の多い人間だ。常識的でもない。今までも、現在も。しかし、聖人君子である必要はないのかもしれない。それを押し付ける臨床家にはなりたくもない。私だからわかる、体験している、感じた思いもある、それを大事にしていこうと考えが変わってきた。

実は、普段は私はここの住人ではなく、遠く離れた所にいる。

七夕祭りで有名なここの街は緑が多くて美しいけれど、ふっと同じ日本なのに随分、違う気がしたりもする。私はラテン系でここはゲルマン系みたいに(笑)

天気もそうだ。朝からカンカン照りな私の街、うす曇のここの街。キーワードで言うと、私の街は陽気。ここの町は実直。勉強するには良い環境かもしれない。

Englishman in N.Y. (Sting)♪

別に寂しいわけではないのだが、異国ともいえないのに何か自分が違う所属だと感じるノスタルジー。今朝、1人カフェで朝食を取りながら、街を眺めている時に、心に浮かんだ。

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2007年8月 6日 (月)

Il Destino

destino は運命と訳す。英語でいうところのdestinyだ。一方、郵便物の宛先はdestinarioという。

つまるところ、「行き着く先」という語感を抱く。自分では、どうしようもなく持っていかれてしまうのだ。行き先は必ずしもハッピーではない事もある。

心理学上、人間の行動には原因を求めることになる。だからdestinoにも、そう至るための原因が当然あるわけだ。本来、「行き着く先」ではなくて、実は、自分が向けた先なのだ。

ところが、現実は違う。内的、外的、意識的、無意識的、あらゆる要因を見つけ出したとしても、それは後付けに過ぎない。現実は常に先走っていくのだ。先回りできても、それを飛び越えて。。。そういう出会いもある。

運命が惰性に変わったとき、愛は終わる。

そんな時、どんな音楽が心に流れるのか。。。それは明日、わかる。

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